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◎姉倉◎No!という勇気と、No!を受け入れる器

「No!」と言うことは

忍耐力が足りないことでもなく

謙虚さが足りないことでもない。

 

視座の高さを
表現したかったり

聞き分けの良さを
表現したかったり

相手を思いやる姿勢を
表現したかったり。

 

 

けれど、

 

それがいつしか
自分を卑下する行為に
すり替わっていくことを

 

あまりにも自然で
緩やかな侵食は

自覚させてくれないのです。

 

 

「どうしていつも
自分ばかりこんな目に?」

「どうしていつも
罪人のように扱われるの?」

という方。

 

 

それは

いつまでも

「No!」

と言わないことによって

起こり続けている現象でもあるのです。

 

相手があなたを
不当に扱った責任は
もちろん相手にあります。

相手の罪は、相手の罪です。

 

 

けれど、

その相手に対して
自分がどう振る舞うのか。

何を受け取り、
何を受け取らないのか。

 

それを決める責任は
自分自身にあります。

 

 

本来、

相手が抱えている問題は
自分とは何の関係もないこと。

 

コントロールもできなくて

 

助けてあげることもできなくて

 

癒してあげることもできない。

 

自分ができるのは

自分を助け、
自分を癒し、
自律することだけ。

 

 

相手の価値観に合わせて

 

自分を下げる必要など
ありません。

 

「No!」

と言うことは、

自分を守ること。

受け取る必要のないものを

「いらない」

「受け取らない」

と、しっかり意思表示すること。

 

 

自分自身が
恐れていたものを振りほどき

「No!」

と言えた時、

 

波動が上がります。

器が大きくなるのです。

放つエネルギーが変わり、

周囲に与える影響力も
変わっていきます。

 

 

このように

自分を磨くための試練が
繰り返し訪れることはあります。

 

 

 

ただし。

ご自身がいつも

「No!」

と突きつけられる場合は

少し違う視点が必要です。

 

謙虚さと感謝が
未成熟である可能性も
考えてみてください。

 

自分の我の強さだけで

独自の正義や平和を表現し、

他者を卑下し、

自分の価値観に
相手を従わせようとする。

 

そのような振る舞いを
続けている限り、

「No!」

を突きつけられることは
止まらないでしょう。

 

自分を守るために
「No!」と言うことと、

他者からの「No!」を
受け入れないことは

まったく違います。

 

 

「No!」と言えないことも、

「No!」を受け入れられないことも、

 

自分と他者の境界が
曖昧であるという点では
同じなのです。

 

ここを勘違いした場合、

好転はいつまでも
訪れません。

お気をつけて。


姉倉花姫

ほしよみ堂小田原店にて

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