◎姉倉◎復讐のカタチ
自分の正義が
自分の首を絞め
その身を貫く。
私はずっと、
「対話を重んじる」
という信念信条で
生きてきました。
対話するのは、
自分とは違う他者を知り、
自分の世界を
広げるためです。
ただ。
いつでも
言葉のキャッチボールが
成り立つわけではありません。
むしろ、
成り立たないことのほうが
多いのかもしれません。
それでも、
自分以外の
「声なき声」に耳を傾け、
その真意を
汲み取ろうとする姿勢。
他者から
何かを学ぼうとする姿勢。
それさえあれば、
交わされる言葉が少なくても
私は「対話」は
成り立つと思っています。
反面。
人間なら誰にでもある
インナーチャイルドには、
こんな駆け引きが
潜んでいることがあります。
どうにかして
「自分の正義」を証明して、
争っているようには見せずに
自分の世界の領域を
広げようとする。
そこに
悪気はないのかもしれません。
むしろ、その奥にあるのは
「私はずっと損をしてきた」
「私はずっと我慢してきた」
「だから、これ以上は負けたくない」
という、
傷ついた子どもの
悲痛な叫びだったりします。
けれど、
こうなると
もう「対話」はありません。
言葉では
平和を語りながら、
影では相手を動かそうとする。
理解し合おうとするのではなく、
相手を自分の望む場所まで
動かそうとする。
「影のコントロールで
世界は変えられる」
そう信じている部分が、
ものすごい力で
動き始めます。
そして、
そんな影の攻撃を受ければ
腹も立ちます。
悔しい。
悲しい。
許せない。
復讐したくなることだって
あるでしょう。
それを
「怒ってはいけない」
「許さなければならない」
「私にも学びがある」
なんて言葉で
無理やり
飲み込まなくていい。
ここから先は、
もう単純な
善悪の世界ではありません。
不条理を感じたなら、
不条理を感じ切ってください。
悔しいなら
悔しさを。
悲しいなら
悲しみを。
腹が立つなら
怒りを。
自分の中に咲いた
その感情の花を、
途中で摘み取らないでください。
最後まで
咲かせきってください。
感情を感じ切ることと、
感情のままに
相手を傷つけることは
まったく違います。
復讐する必要もない。
事勿れで
表面だけ平和にする必要もない。
悟ったふりをする必要もない。
勝つ必要もない。
自分の正義を
証明する必要さえない。
なぜなら、
復讐も。
事勿れの平和も。
悟ったふりも。
勝ち負けも。
そこに囚われている限り、
「全て振り出しに戻る」
からです。
世界を変える前に、
自分の中で
咲こうとしているものを
最後まで咲かせる。
それが、
自分を救う道なのだと
私は思っています。
姉倉花姫
ほしよみ堂小田原店にて


