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◎姉倉◎峰不二子で何が悪い

必死に隠すと、

だいたい別の穴から漏れてくる。


女子高生の三女が

突然、言いました。

 

「エロい自分を隠して

聖女ぶっている人が

一番きもい。

 

隠すから

変な形で漏れ出てる。

逆に卑猥。

歪んでる。」

 

……。

 

お、おう。

母ちゃん、

インナーチャイルドセラピストだけど、

 

高校生に

インナーチャイルド講座を

受けた気分になりました(笑)

 

でもこれ、

なかなか本質を

突いていると思うのです。

 

人間って

「こんな自分はダメ」

と思って

 

閉じ込めた自分ほど、

別のところから

ひょっこり顔を出します。

 

「愛されたい」

「女として見られたい」

「触れてほしい」

「選ばれたい」

「綺麗だと言われたい」

「性的な自分も楽しみたい」

 

 

別にいいじゃん。

 

人間なんだから。

 

ところが、

「そんなことを思う私は

はしたない」

「色気を出す女なんて嫌い」

「私はそんな女じゃありません」

と、

 

自分の中にいる女を

自分で嫌い始めると、

その子は

地下室に

閉じ込められます。

 

でもね。

 

閉じ込められた

インナーチャイルドって

 

おとなしく

寝ていてくれないんですよ(笑)

 

「私を見て」

「私だって愛されたい」

「私だって女だよ」

って、

 

なんとかして

存在を知らせようとする。

すると、

 

誰かが褒められた時に

モヤッとしたり、

 

モテる女性を見て

無性に腹が立ったり、

 

幸せそうな女性の

粗探しをしたり、

 

「あの人って

男に媚びてるよね」

なんて言いながら、

自分もちゃっかり

誰かの視線を確認していたりする。

 

 

嫉妬。

あざとさ。

自己卑下。

承認欲求。

もちろん、

全部が全部

同じ理由ではありません。

でも、

 

 

自分を大切にできない女性の

自己卑下は、

ときどき

 

「嫉妬」や

「あざとさ」という形で

外に現れることがあります。

 

 

本当は

「あの人みたいに

私も愛されたかった」

だけなのに。

 

 

それを認めるのが

恥ずかしいから、

「あんな女になりたくない」

に変換してしまう。

 

 

これ、

他人を嫌っているようでいて、

本当に嫌っているのは

 

自分の中にいる

「愛されたがっている私」

 

だったりします。

だから姉倉は、

嫉妬するな、とも

あざとくなるな、とも

エロくなるな、とも

言いません。

 

 

むしろ

ちゃんとエロくて

いいんじゃないでしょうか(笑)

 

愛されたいなら

「愛されたい」。

綺麗だと言われたいなら

「綺麗だと言われたい」。

 

女として見てほしいなら

「女として見てほしい」。

 

まず自分だけは、

その欲求を

馬鹿にしないことです。

 

欲望って、

認めたから

暴走するわけじゃない。

むしろ

 

「そんな私は存在しません」

と切り離した時のほうが、

 

妙なところから

漏れ出したりする。

 

 

聖女もいる。

娼婦もいる。

母もいる。

少女もいる。

嫉妬深い女もいる。

あざとい女もいる。

愛されたくて

たまらない女もいる。

 

全部、

自分。

 

どれか一人を

「お前だけは恥ずかしいから

地下室に入っていろ」

 

なんて言わなくていい。

自分の中の女たちを

全員、

 

日の当たるリビングに

座らせてやればいい。

そして

 

「はいはい。

あなたも私ですね」

って

お茶でも出してやればいい(笑)

 

インナーチャイルドを癒すって、

清く正しい人間になることでは

ありません。

 

自分の中にいる

見たくなかった自分まで

「いたね」

と認めてあげること。

そうすると不思議と、

 

他人の色気も

他人の幸せも

他人のあざとさも、

以前ほど

気にならなくなります。

 

だってもう、

他人を使って

自分の中の女を

裁かなくていいから。

 


 

三女よ。

なかなか

いいこと言うじゃないか。

母ちゃん、

その言葉

仕事で使わせてもらうわ(笑)

 


姉倉花姫

ほしよみ堂小田原店にて

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