◎姉倉◎自分を磨くのは自分が幸せになるためだけではなく、誰かに渡せるものを育てるため
「試練なんて、なくていい。」
「まずは自分を大切に。」
「普通の幸せを維持できるように我慢しろ」
そんな言葉を耳にすることが増えました。
もちろん、
心が疲れ切っている時には
自分を労わる時間は必要です。
でも、それだけで
人は本当に誰かを支えられるのでしょうか。
自分の持てる力を磨き、
育て、
少しずつ器を広げていく。
その積み重ねがなければ、
利他は理想のままで終わってしまいます。
現実の行動として、
誰かを助けることはできません。
御霊磨きとは、
ただ心地よく過ごすことではなく、
自分という器を育て続けることなのだと
私は思っています。
修験道の祖とされる
役優婆塞。
山を歩き、
岩を越え、
自然と向き合いながら、
同時に自分自身の弱さや恐れとも向き合い続けたと伝えられています。
修験道では、このように山に入り修行を重ねることを
「峰入り(みねいり)」といいます。
山は、
自分の思い通りにはなりません。
天候も、
道も、
体力も、
すべて自然のまま。
だからこそ、
人は謙虚さを学び、
感謝を学び、
自分の限界を知り、
その先にある可能性に出会います。
けれど、
現代を生きる私たち全員が
山へ入る必要はありません。
毎週末、峰入りをするような
男性的で力強い修行だけが
「行」ではないのです。
女性には女性の行があります。
朝、家族のために食事を整えること。
疲れていても、
「ありがとう」を忘れないこと。
傷ついた感情から目をそらさず、
静かに見つめ、
少しずつ昇華していくこと。
小さな約束を守り、
人を責める代わりに、
自分にできる小さな一歩を選ぶこと。
これもまた、
静かで険しい修行です。
こうした暮らしの積み重ねもまた、
御霊を磨く
静かで険しく
尊い修行なのだと、
私は思っています。
姉倉をご贔屓にしてくださる
80代のリピーター様と
お話をしていると、
いつもそのことを実感します。
毎回、
寺社仏閣のお話になり、
時には
姉倉とお客様が
時空を超えて繋がっていた証のような
人物の存在が浮かび上がってきます。
カードを切る占いだけではありません。
「次は、この一手ですよ。」
そんな小さな一手を、
まるでどなたかが
姉倉の口を借りて
確実に届けようとしてくださっているような
不思議な時間があります。
振り返れば、
お客様も、
姉倉も、
決して平坦な人生ではありませんでした。
だからこそ、
痛みがわかる。
だからこそ、
時空を超えて
支え合うことができる。
修行とは、
誰かより強くなるためではなく、
誰かへ渡せるものを
一つでも増やすためにある。
私はそう信じています。
そして今日もまた、
見えないご縁の向こうから、
役優婆塞様が
そっと次の一歩を
教えてくださっているような気がするのです。
姉倉花姫
ほしよみ堂小田原店にて


