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*廣森サラ*あの人に天罰は下りますか?①

読むだけで、人生が変わるブログ

こんにちは。廣森サラです。






鑑定をしていると、

定期的にとあるご質問を受けます。




「あの人に天罰は下りますか?」





自分を小さく扱った人。

裏切った人。

平気な顔で傷つけてきた人。




そういう相手に対して、

「因果応報」を願ってしまう気持ち。




痛いほどよくわかります。









私自身、20代の頃までは自分を

「血反吐を吐いて、泥水をすすって生きてきた歩く恥晒し」と

呼んでいました(笑)




沢山の理不尽さにぶち当たり、

苦しい思いをしてきました。




 当時は

「なぜあの人たちだけが笑顔で、

 私だけがこんなに苦しまなければならないのか」

と、夜も眠れずに自問自答を繰り返していました。





天罰を願ってしまうお気持ちは、

人間としてごく自然で、当然の感情だと感じるのです。





多くのご相談をお聞きし、

自分自身の過去を振り返る中で、

ふと気づいたことがありました。






私が望んでいた「天罰」とは、

単に「あの人が痛い目に遭うこと」

そのものではなかったのかもしれない、と。





「そこまで私を追い込んだお前に、

私のこの苦しみを思い知らせたい」——





本当はただ、自分の痛みを分かってほしかったし、

大切にされなかった哀しみを

認めて謝罪してほしかったのだと思います。








「あのときは、ごめん」



そのたった一言が欲しかったのです。











そもそもこの「天罰」とは

一体なんなのでしょうか。





試しにAIで言葉の意味を調べてみると、

天罰とは

「よくない行いをした者に対して、天が与える報い」

と出てきました。






ここで注目したいのは

「与える」という言葉です。





 「与える」とは、

単に何かを差し出すことではなく、

「巡りの起点」となる行為です。





この世界には、自分が外に放ったエネルギーが、

形を変えて自分自身に還ってくる、

という自然な法則があります。





天罰とは、

誰かが怒って雷を落とすようなものではなく、

「自らが放ったエネルギーが、巡り巡って自分に還ってくる」

というシンプルな循環のことなのです。






そして東洋の世界観において、

この還ってくるエネルギーとは、

単なる「報い」ではありません。




 それは、

「その人が人間として成長していくための試練」

なのだと私は感じています。





自分の行ったこと(因)が、

様々な巡り合わせ(縁)に触れて、

経験(果)として自分に返ってくる。






これが「因果応報」の本来の意味です。








その試練は、

本人が自分の未熟さと向き合い、

大切な学びに気づくことでしか

終わらない仕組みになっています。




 相手がその課題から目を背け続ける限り、

形を変えて「気づきを促す出来事」が

訪れ続けるのかもしれません。





それでも今世で学びきれなかったテーマは、

そのまま来世へと引き継がれていくことになります。








これがカルマです。










相手に何か出来事が起きても、

それは相手自身が放ったエネルギーが、

人生の中で「学びの機会」として

巡ってきているだけなのです。





起きても、何も学べなければ、

ただ来世へ持ち越すだけ。






魂の成長が得られなかった。

ただそれだけなのです。









あなたがが怒りで心をすり減らす必要も、

相手の報いを願う必要もありません。







必ず解消しなければならない。








大きな宇宙、輪廻転生という枠組み中で

そのような仕組みになっているのです。







あなたはもう、あの人のために

あなたの貴重なエネルギーを

一滴たりとも使わなくていいのです。






「あの人はあの人の学びの途中なのだな」

と手放してみましょう。





そして、まずはどうか今日だけでも。



今日だけでも

傷ついたご自身の心をたっぷりと愛し、

温めることだけに意識を向けてあげてくださいね。






次回は、西洋の神話に

登場する「ある女神」のお話を通じて、

また違った角度から

このテーマをお届けしたいと思います。

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