◎姉倉◎捧げ続けるヤマユリにみた、私たちの生き様
ヤマユリの季節になりましたね。
里山や低山では、
今週から来週あたりが見頃でしょうか。
箱根の峠のような涼しい場所では、
七月の終わり頃まで、
沿道でゆらゆらと風に揺れる姿を見ることができます。

先日、丹沢の自然観察園へ足を運びました。
ヤマユリは林縁に並び、
まるで通りゆく人を見送るように咲いていたり、
崖の上から頭を垂れて、
行き交う命を祝福しているように見えたりします。
不思議と一直線に並んでいることが多く、
広い平地いっぱいに群生する姿は、
あまり見かけません。
ところが、
この自然観察園には少し違う景色がありました。
コロナ禍より以前から問題となっていた
ナラ枯れによって、
多くのナラの木が伐採されました。
その結果、
森の中にぽっかりと
光が差し込む広場が生まれたのです。
それまで木々に遮られて
届かなかった陽の光。
その光を待っていたかのように、
土の中で眠っていたヤマユリたちが、
一斉に姿を現しました。

この森でヤマユリを観察し続けている
絵本作家の
たてのひろしさんは、
「ここには二百株以上ありますよ。」
と教えてくださいました。

私が訪れた先週末は、
まだ満開ではありませんでした。
けれど蕾をつけた株が、
一帯を埋め尽くすほど立ち並び、
森全体がヤマユリ特有の甘く豊かな香りに包まれていました。

以前
たてのさんがおっしゃった言葉が忘れられません。
「ヤマユリは、ずっと誰かに捧げ続けている。」
その言葉を聞いてから、
花の見え方が変わりました。
キリスト教では聖母マリアの花。
ヨーロッパや近東では母性愛を象徴する聖花。
エジプト神話では豊穣の象徴。

世界のさまざまな文化の中で、
ユリは
「命を育み、与える存在」として
大切にされてきました。

そして自然の中でも同じです。
芽吹いてから花を咲かせ、
朽ちていくまで。
さまざまな虫たちが訪れ、
ときには寄生し、
ときには受粉を助けながら、
一つの命が次の命へとつながっていきます。
ヤマユリは、自分だけのためには咲いていません。

フラワーエッセンスにも
ユリのエッセンスは
存在しています。
資料を読み比べると、共通して見えてくるのは、
精神性の高さ。
そして、
分かち与えること。
惜しみなく差し出すこと。
そんな指標です。

けれど、与え続けることは美談だけではありません。
役割だからといって、
いつも喜んでできるものでもない。
疲れる日もある。
「どうして私ばかり」と
運命を呪いたくなる日だって、
きっとあるでしょう。
それでも季節が巡れば、
ヤマユリは静かに花を開きます。

誰かに認められるためではなく、
誰かに褒められるためでもなく、
ただ、
自分がヤマユリとして生きるために。
その姿は、
「与える」ということの本当の意味を、
私たちに問いかけているように思えました。
今年もまた、
森いっぱいに咲くヤマユリに会えたことへ。
心から感謝しています。
姉倉花姫

ほしよみ堂小田原店にて


